「AIっぽい」ってなんなのか?そしてそれは罪なのか
本当はコレクションの一部をちまちまと記事にしようかなぁと思っていたのだが、個人的な悩みというか考え事があって、それを消化しようとしてみるのが今回の内容。考え事というのはタイトルの通りです。 まぁたまにはこんなのもいいでしょう。作ってる本人が言うのもおかしな話だけど。
AIっぽいという言葉
最近、「AIっぽい」という言葉をよく聞くようになった。これは仕事でもそうだし、プライベート(Xとかの投稿)でもそう。プライベートで人と会話しないのかとか突っ込むのはやめておくれ。
Xの投稿だと「これはAIの文章」だの「AIの画像」だの(AI画像は単純に厄介。ニュアンスが違うかも)、はてブだと増田の投稿に対してAIだAIだとコメが付く始末。
仕事だとスライドとか資料見たときに「これAIが作ったやつだよね」という話になるときがある。ちなみに言っておくと先ほどの言葉は嫌味ではない(多分)。単純に興味というかどうやってるか聞きたかったりすることが多いイメージ。自分の働いている会社はソフトウェア企業で自分もそして周りの人間もソフトウェア開発をしているわけで、毎日AIにお世話になっているわけだ。というわけでAIを活用して何かをするということに対してたいていの人が嫌悪感はないし、AI製のものを見たり使ったりすることに違和感も躊躇も消えかけているといっても過言ではない。すっかりAI君に懐柔されております。
というわけであらゆるところで「AIっぽい」と言われるわけだが、これは果たして何なのだろうか?何を見てAIっぽいと判断し、それを指摘することに何の意味があるのだろうか(意味があるんだろうから声に出すのだと勝手に解釈している)。世間一般的に「AIっぽい」は嫌味というか、ある種の「悪いこと」というニュアンスでとらえられている節があると感じている。
ということで、AIっぽいってなんなのか、AIっぽいとは罪なのかについてダラダラと考えてみる。
AIっぽいってなに?
超絶独断と偏見でAIっぽいの判断基準書きます!
文章編
- なんかぜんぶ「です」「ます」調
- 具体的な話題なのに、体験談などの具体的なストーリーが一切出てこない
- 長い!1文で言い切れるはずなのにたらたら書いてる。話がなげぇ。(あまり言うとブーメランが飛んできそう)
- 言い切るところで言い切らない。なんかもやっとしてる。
スライド等の資料編
- 色がごちゃごちゃしてる
- いろいろ一枚に詰め込みすぎ。文字がちいせぇ
- 単純に枚数が多い。ほんとにその枚数必要か?
ぐらいかな。ほかの人がどうなのかは知らないです。 で、多分多くの人が、あるのかないのか分からない美的センスみたいなもので「AIっぽい」を独断と偏見で判断しているはず。要するにこれは感覚の話であって、AIが書いた(作成した)かどうかという確固たる証拠もないけど、それぞれのニュアンス(または最近はAIチェッカーを使うのか?)で曖昧な判断を下すわけだ。
まぁ判断を下すのはお好きにどうぞということなのだけれども、それで「罪」だの「手抜き」だの「仕事放棄」だの、学業だと「カンニング」だの言われるのは癪に障るというか、下手すれば人生にかかわるわけで、最近の悩みどころはそこなのである。頑張って自力で作ったのに、その人のAIセンサーでAIと判断されて、マイナスな烙印を押されるとすればこれほど最悪なことはない。(別に手作業でやることが素晴らしいという意味ではない)
AIっぽいって罪なのか
多分「だまされた」と感じたら罪なんじゃないですかね?知らんけど。 要するに人間が作ったものだと思っていたのにAIだったとか、人に頼んだのにAIに丸投げしてかえってきただけだったとか。
「人」に対して関心を持ったりタスクを与えたのだから、人が関与すべきだろ(またはすべての工程を人がすべき)という前提があるんではなかろうか。超個人的意見。AI丸投げがいろいろといわれるのはそーゆーことなのだろうと。責任とかそのたぐいの話にもつながってきそう。
上記がほかの人にも当てはまると仮定して話すと、自分も半分くらいは賛同する。なんでかって?そりゃAIが全部やるならなんで人を介さなくちゃいけないんだという話になるから。仕事なら完全に中抜きですからね。ふざけんなという話になる。AIを使うのはいいんだけど、ただのプロキシになるのは勘弁しておくれということ。
あと人が作ったものだと思ってみたら全部AIでしたは気分はよくない。まぁこれは当たり前だよね。これの厄介なところは受け手の前提がどうなってるかに左右するところ。最初から「AIで作りました」といっておけばいいんだけど(それでも突っかかってくる輩はいるが)野暮だから言わないとか、変な評価をされたくないから伏せておくとかすると、相手の前提と乖離があると「騙された」判定になる。これは度合いによるけど面倒だしこれからも発生し続けるものなのだろうと思う。
これはゆるコンピュータ科学ラジオのとある動画。AIの素材を使って作ったら(人が編集)AIサムネ扱いされてぼろくそに言われたというお話。で、堀元さんがAIを使って自分で差し替えたら(レイアウトは指定)落ち着いたというオチ。多くの人が持つ「AIっぽい」で断罪された悲しき事例。まぁ単純にTPOというか、ウケるサムネが作れてなかったという話でもあると思うけど、最悪のハズレくじを引いたものだと思う。
他にもAIスロップでひどい目にあってそこからアンチになったとかありそう。というか今後も被害者は増えてきそう。
ここまで考えてみると、AIっぽいこと自体が罪なのではないと思う。受け手が期待していた人間の関与がなかったり、作った側が判断や責任までAIに丸投げしたりしたときに、AIっぽさが「だまされた」に変わるのではなかろうか。
AIが作ったものは罪なのか(番外編)
最後に、この「判断や責任」の話を仕事の資料に寄せて、最近見たこの記事についても勝手な持論を。
AIで生産性が3倍になった私たちが、チームを置き去りにした話
AIスロップなのではとかいろいろ言われているけど、どうやらそういう単純な話でもないらしい。筆者のいう「生産性が3倍」は、作業速度ではなく同時に抱えられるテーマ数が増えたという体感の話。個人側では明確に恩恵があった一方で、上司やベテランとの断絶が起きた。だから一概にスロップで片付けられる話でもなさそう。
個人的に思うのは、上司が「正しいことを言っているのだと思う」という時点で、少なくとも報告資料としては情報の取捨選択ができていなかったのだろうなぁということ。もちろん、元の記事で語られている共通言語や質問しづらい場、管理職の時間不足といった問題を、情報量だけで説明できるわけではない。それでも、こんなことが各所で起きると、これまで話した「AIっぽいが罪」が現実のものとなっていくわけだ。で、極限まで行くとAI禁止令なるものが出て、それに対抗すべくAIが作ったものに「脱臭」作業が行われ、何をやってるのかよく分からないディストピアと化してしまうような気がする。被害妄想が過ぎるかもしれないけど。
自論だけど上に報告する場合は、上が必要な情報をこちらで取捨選択し、「出すものは出す、消すものは消す」を大胆にやらないといけないと思ってる。消すとこをミスるとだめだし、意図的に上が必要な情報をもみ消すとかやるとだめだし、綱渡りではあるけど。
でもそれをやらないと、受け取ったときに爆発する。AIに「要約して」とお願いしたときにしてくれるコンテキストの圧縮って、受け手にとっては「可逆圧縮」のような気がしてる。もちろん本当の意味で元に戻せるわけではない。要約を受け取った後、その詳細や前提を追おうとすると、一気にデータが頭の中で爆発する。で、それを展開しきれないと、結局は理解できない情報の塊、つまりスロップになってしまう。
ある意味で「責任」があるとするならば、潔く消してしまうということだと思う。不可逆圧縮をしないといけない。別に取捨選択をAIにさせてもいいけど、何を消すかは人が指示して、最後は判断しないといけない。消したものに対して責任を負う(どうやって負うのか、本当に負えるのかはさておき)ことが、今のAIの性能では必要なのかなと思ったり。そんな気持ちで私は仕事してます。
長々と書いたけど以上です。
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